御祭神

摂末社

  • 客神(きゃくじん)社
  • 熱田(あつた)社
  • 真清田(ますみだ)社
  • 津島天王(つしまてんのう)社
  • 三輪(みわ)社
    [地主神(じぬしじん)社]
  • 水神(すいじん)社
  • 御嶽(おんたけ)社
  • 弥栄(やさか)社
  • 田口(たぐち)社

護山神社(もりやまじんじゃ)

御祭神は木曾山林の総鎮守。山の恵みを司る。主神に大山祇命[山神]・句句廼馳命[木祖]・草野姫命[草祖]の自然神を祀り、配神に武甕槌命[鹿島神]・経津主命[香取神]の鎮守を祀る。山や木を生業とする人々の守護神。神宮[伊勢神宮]式年遷宮(しきねんせんぐう)の要となる御樋代木(みひしろぎ)・御船代木(みふなしろぎ)等、御用材となる木曾檜(きそひのき)を育む祖神(おやがみ)。本社は岐阜県中津川市付知町(つけちちょう)、奥社は同市加子母(かしも)の裏木曾国有林内『出の小路(いでのこうじ)』に鎮座する。天保年間、江戸幕府[第12代将軍・徳川家慶公]の命により、現在は長野県南西部から岐阜県境にかけての国有林である木曾山[美濃山]鎮護の守護神として創建された。創建後の神社経営は幕府から木曾山林を管轄する尾張藩[尾張徳川家]に託され、藩の祈願社として、また木材の乱伐を禁じた木曾林政の象徴として歴代藩主の崇敬篤く、美濃の地に在りながら『尾張十社』の一つとして数えられた。明治初年、藩の手を離れた後も当社の位置付けは変わらず、現在に至るまで木曾山鎮護の守護神として木曾全域、特に裏木曾[岐阜県]圏内において篤い信仰が寄せられている。社格は、明治6年 付知村・加子母村を氏子区域として郷社(ごうしゃ)に格付けされ、大正12年 岐阜県の県社(けんしゃ)に昇格。戦後、昭和33年 金幣社(きんぺいしゃ)[岐阜県神社庁規定]に列す。

神社年表

1838 天保9 江戸城・西の丸御殿[大御所・徳川家斉公の住居]が火災により焼失。
    西の丸御殿の再建用材伐採の為、幕吏・川路聖謨[三左衛門]が出の小路山中に派遣される。 【出の小路(いでのこうじ)…現・岐阜県中津川市加子母〜付知町にまたがる裏木曾国有林。護山神社奥社の所在地は加子母。古来より祟りの伝承があり、当時は神宮[伊勢神宮]御造営用材以外の伐木は禁忌とされていた。】
事業開始と同時に山鳴り・怪異・山火[山火事]等の変事が続出する。社伝によると「将軍家慶尾州藩斉荘、又[同様に]妖夢に悩まされ怪異江戸城大奥に及ぶ」とある。
これらの変事は大量伐採に対する山神の祟りであるとされ、幕府は出の小路に急使をたて、総ての切株に注連縄を張り巡らして山神慰藉の祭典を執り行わせる。
1840 天保11 奥社創建
第12代将軍・徳川家慶公は、霊山[木曾山]鎮護を趣旨とする台命[将軍や三公など貴人の命令]を下し、それを奉じた第12代尾張藩主・徳川斉荘卿は、出の小路山中に神霊石三基を建立。
同藩神職長官・吉見幸茂、幸磐父子を派遣して神霊石三基に大山祇命・句句廼馳命・草野姫命、武甕槌命、経津主命を鎮祀させ、新たに境内地を区画整備する。
    奥社創建〜本社創建
毎月25日、名古屋城東の柳原御祈祷所において月並の御神拝[奥社の月次祭]が奉仕される。
特に1・5・9・11の月々7日には、神饌を供して恭しく祭典が執り行われる。
1843 天保14 本社創建
奥社[山宮]の位置が人里から隔離された深山である為、祭祀・社務・崇敬者の参拝に支障を来し、霊山[木曾山]鎮護の成果が得られない事を懸念した幕府は、尾張藩に本社[里宮]の創建を命じる。


付知村字古御所(こごしょ)が本社に相応しい霊地と定められ、尾張藩作事奉行に工事監督させ5月に起工。 本殿・拝殿以下摂末社を建設して神物・祭具・什器等社務に要する一切の調度を準備して12月に竣工。 12月4日、尾張藩主・徳川斉荘卿より親しく3口の御剣[「直焼刃装具纏」政秀作]が寄進される。
12月6日、吉見幸茂・幸磐父子に同藩御用神官格取扱十社家を初め50余名の祭員を統率させ、御遷宮式[上棟・遷座祭]を盛大に執り行わせる。この時、尾張藩主・徳川斉荘卿は御書院番頭兼大番組頭・林又左衛門を御代拝とし、特に藩主の格式を以て本社へ参向させる。
社号は霊山[木曾山]鎮護の趣旨を以て「護山神社」とされる。また例年の御大祭[例大祭]は陰暦3月25日と定められ、祭典当日には藩主御代拝が特使として護山神社へ参向する事。更に御書院番頭が藩主御代拝として柳原御祈祷所へ遣わされ、神職長官・吉見幸磐に遙拝式を執り行わせる事。熱田神宮の御神楽方を派遣して神子の舞[太々神楽]を奉奏させ、木曾上松材木役所御陣屋から特使をして幣帛料を供進させる事が定例となる。
※創建費用の2万両は幕府が負担。創建後の神社経営は幕府から木曾山林を管轄する尾張藩に託され、明治4年の廃藩置県に至 るまで藩の祈願社として祭典費・営繕[建物の新築・増築、改築・修繕]は藩費を以て賄われる。また護山神社創建以前、藩による御用材伐採式[祈願祭]は尾張三社[熱田神宮・真清田神社・津島神社]において執り行われていた為、創建当初より三社の分霊を摂社[熱田社・真清田社・津島天王社]に祀る。
1844 天保15
弘化元
2月、将軍・徳川家慶公より絵馬額1面[押絵「櫻木鞍置馬之圖」御台所作]が奉納される。
8月、5月に江戸城・本丸御殿が火災により焼失した為、木曾山より本丸御殿の再建用材を伐採する事となり、尾張藩主・徳川斉荘卿は同藩神職長官・吉見幸磐に社家10名を統率させ、護山神社において山神慰藉の祈願祭[3日間]を執り行わせる。
1852 嘉永5 10月、6月に江戸城・西の丸御殿が火災により焼失した為、木曾山・濃州[美濃国]御山より西の丸御殿の再建用材を伐採する事となり、第14代尾張藩主・徳川慶恕卿[=第17代尾張藩主・徳川慶勝卿]は先例に倣い、同藩神職長官・吉見幸磐に社家10名を統率させ、護山神社において山神慰藉の祈願祭[3日間]を執り行わせる。
1857 安政4 3月、困窮した藩財政緩和の為、川上・付知・加子母[裏木曾三ヶ村、現・岐阜県中津川市]の立木を尾張藩御用材として伐採する事となり、尾張藩主・徳川慶恕卿は直筆の祝詞を藩主御代拝である御納戸頭・川澄理兵衛に託し、社家10名[祭員として]と共に護山神社へ参向させ、護山神社神主[宮司]・田口右馬之助に山神慰藉の祈願祭[5日間]を執り行わせる。※この時、摂社に至るまで祭典の対象となる。
1860 万延元 5月、安政6[1859]年10月に江戸城・本丸御殿が火災により焼失した為、木曾山より本丸御殿の再建用材を伐採する事となり、第15代尾張藩主・徳川茂徳卿は護山神社神主[宮司]・田口右馬之助に山神慰藉の祈願祭[3日間]を執り行わせる。
    そのほか尾張藩では、黒船襲来等の国難の折々に藩主御代拝を特使として護山神社へ参向させ、国家安穏の祈願祭を執り行わせた。
1873 明治6 1月、付知・加子母両村民を氏子として郷社に列す。
【郷社(ごうしゃ)…旧社格の一つ。県社の下、村社の上に位置付けられ、地方官の管理下にあって奉幣を受けた。】
1900 明治33 護山神社「山祇(やまづみ)講」発足。
【講(こう)…民間で作られた仏事や神事を行うための結社。寺院・神社等の維持活動や、集団参詣を行なった。】
1906 明治39 明治42[1909]年の第52回神宮[伊勢神宮]式年遷宮を控えて、用材の調達が困難な状況が上聞[明治天皇]達して御下問があり、帝室林野局は木曾御料林内に、木曾檜の巨樹良木を永久かつ円滑に供給する為の「神宮御造営材備林[神宮備林]」を設ける。
護山神社は御料林並び神宮備林鎮護の守護神として官民からの崇敬を受ける。
【御料林(ごりょうりん)…旧憲法下で、皇室所有の森林。宮内省の御料局(のちの帝室林野局)が管理し、その収入は皇室の主要財源となった。戦後、国有財産に移管。】
1923 大正12 4月、内務大臣・水野練太郎氏の指令を以て県社[岐阜県]に列す。
【県社(けんしゃ)…旧社格の一つ。県から幣帛(へいはく)を奉った神社。府社と同格。】
    そのほか木曾與川山崩れの変事、濃尾地震、日清・日露戦争等に際し、氏子・崇敬者は特に奇異なる神護を感じたと云う。
1958 昭和33 金幣社に列す。
【金幣社(きんぺいしゃ)…岐阜県神社庁『献幣使参向に関する規定』による社格。献幣使として県神社庁長が参向し、金幣を以て奉幣(ほうべい)行事を執り行う神社。県神社庁支部長が参向する神社は銀幣社、部会長が参向する神社は白幣社。】
1965 昭和40 第60回神宮[伊勢神宮]式年遷宮
6月5日、神宮式年遷宮御用材伐採式。裏木曾国有林から御樋代木が伐採される。6月6〜8日、護山神社「御神木祭(ごしんぼくさい)」が執り行われる。※現在のトラックによる陸送形式はこの回から。第59回は鉄道による陸送。第58回は木曾川流域にある関係諸町村の要望により、一部区間[鉄道による陸送]を除いて木曾川による流送。それ以前は木曾川による流送。
1976 昭和51 7月20日、護山神社の神霊を分霊。その分霊は木曽官材市売協同組合[長野県木曽郡上松町正島町]勧請され、木場に「木之霊神(きのみたま)神社」が創建される。
1985 昭和60 第61回神宮[伊勢神宮]式年遷宮
6月5日、神宮式年遷宮御用材伐採式。裏木曾国有林から御樋代木が伐採される。6月6〜8日、護山神社「御神木祭(ごしんぼくさい)」が執り行われる。
1997 平成9年 10月30日、御用材伐採の斧入れ式。
※第62回神宮[伊勢神宮]式年遷宮御用材伐採式は平成17[2005]年だが、実際の用材伐採はこの時から始まっている。
2003 平成15 御樋代木奉迎送依頼の為、神宮より和田年弥禰宜、孫福弘明権禰宜来社。
2004 平成16 付知町・アートピア付知において「日本の大祭と御神木」を講演の為、神宮より小堀邦夫参事来訪。恵那・中津川両支部の総代研修を兼ね、氏子や上松町関係者等多数参加。式年遷宮へ向けての気運が高まる。
2005 平成17 第62回神宮[伊勢神宮]式年遷宮
6月5日、神宮式年遷宮御用材伐採式。裏木曾国有林から御樋代木が伐採される。伐採式後、北白川道久大宮司、高城治延少宮司、護山神社に正式参拝。6月5〜7日、護山神社「御神木祭(ごしんぼくさい) [御樋代木奉安祭・奉送祭]」が執り行われる。〈神宮司庁供奉〉慶光院利致禰宜、孫福弘明権禰宜、石垣仁久宮掌、村瀬昌之技師、中村倫生運転手。
2005 平成17 6月20日、御樋代木奉迎送の反省と今後の課題についての話し合いの為、神宮より慶光院利致禰宜、総務課・中西直樹氏来社。